8:谷本選手
俺は後半が始まるまでの間、呼吸を整えるんだ。ここでも飲み食いはしない。
前半の緊張をいい具合に後半も継続しなくちゃな。油断した瞬間スパッとやられちまうからな。
後半が始まろうとしている。選手の面構えも、うん、みんないい顔をしている。程よく前半の緊張感を保っている。
思えば、横浜がここまで窮地に立たされているのは、このシーズンから抜擢されたクソ監督のせいなんだ。俺の知る横浜の選手は、若いヤツからベテランまで、みんないい選手なのにその実力を発揮できていない。
そんなチームをいつも盛り上げ、鼓舞してくれているのがレジェンド谷本なんだ。
谷本はきっと後半戦の途中から投入される。それまでみんな油断するんじゃねぇぞ。
後半から、赤いユニフォームを着た山田がいる。見ているだけでイライラする。アイツだけは調子に乗らせちゃいけない。うまくシュートまでパスをつなげてくれ。
「あっ!ダメ、パスが短い…」
まだ谷本が来てねーんだ、油断するんじゃねーよ馬鹿。俺がそう思った瞬間、山田がすかさずパスをカットしやがった。
「クソ!山田…。誰でもいい、ファウルでいい、ファウルして止めろ!」
俺の考えが選手にもわかったようだ。山田にスライディングし、足をわずかにかすめてファウルで止めた。よしよし、よくやった、それでいい。
「ピーー!」
審判の笛の音が大きく響き渡り、胸ポケットからイエローカードが出された。
まぁいい、まぁいい。山田だけは調子に乗らせるな。なんならもう少し痛い目に遭わせてやってもよかったくらいだ。大袈裟に転んで痛がるふりをしてやがる。生意気だよ、山田。
この後の山田のフリーキックはしょうもないシュートで笑えた。どう考えても入るはずのない距離なのに、フリーキックで直接狙ってきやがった。下手くそなのにしゃしゃり出てきてムカつくよ。
そうこうしているうちに会場がざわついてきてる。谷本だ。いよいよ谷本が投入される。後半の半分を消化しようかという頃合いで、谷本が投入された。
「きた、きた!きたー!谷本!」
会場からも谷本の登場に大きな歓声が湧いた。
いいぞ、今日の谷本、気合い入ってる。まだまだフルで動ける状態だ。完璧に仕上がっている。
気がつけば横浜のサポーターの応援も最高潮だ。そうこなくちゃな。谷本が入ってきたんだからよぉ。
谷本だ、谷本にボールを集めろ。谷本なら決めてくれる。谷本にボールが渡ると、一気に会場が湧く。いける、この試合、決めてくれる。
横浜、いいぞ。勢いづいてきた。パス回しもいい。谷本に回せ。
「あー、馬鹿馬鹿、お前じゃないって、谷本フリーだよ、回せ!」
ボール持ちすぎなんだよ。狙われてんじゃねぇか、まったく。若い選手は勢いがあっていいんだけどよ、ここはお前のシュート力じゃ突破出来ねぇって…。
ほらな、外しやがった。
ゴールキックからかよ。仕方ねぇ。仕切り直しだ。俺は別に声を張り上げているわけじゃねぇんだけど、緊張のせいで喉がカラカラだよ。
あと10分しかねぇ。なんとか決めてくれ。落ち着け、落ち着け、ミスするなよ。ここは大事だ冷静に回せ。
くそ、ロスタイム何分だ?
「ロスタイム4分!マジで、なんとかしてくれぇー!」
俺と同じ歳くらいの親父が叫んでやがる。俺だって同じ気持ちだ、あと4分。ラストチャンス。谷本にボールを回せ。
そうだ。そうそう、それでいい。行け、谷本。行け!
「谷本!谷本!行け、行け!」
谷本いいぞ、ドリブルでかわしてる。そのままいける。打て!打て!
「シュートだ、谷本!いける!」
谷本がスマートにドリブル突破すると、横浜サポーターは静まりかえった。相手チームのざわめきも一瞬止まったように、静寂に包まれた。
瞬間、谷本がシュートを放った。
低く、速く、一直線に軌道をなぞるシュート。ゴールキーパーは一歩も動けない。
「決まったー!」
誰もがそう思った、その刹那。
――ガンッ。
乾いた金属音。
クロスバーが震え、白い枠が谷本の鮮やかなシュートを拒絶する。ボールは無慈悲に跳ね返った。
著者コメント
2026年4月連載開始、全12章あります。次回更新楽しみにお待ちください。
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