休職で休むことになった私は常に悩みと戦いました。
3か月もあったら何をして過ごせばいいのさ?
本当に3か月も休んでしまっていいのだろうか?
本当は自分はうつ病ではなくて単純に会社に行かなくて良くなっただけのラッキーボーイなのではないか?
いや、私はうつ病で眠れなくて疲れが取れなくなった。だから、先生の言うようにしっかり休まなくちゃダメなんだ…。
妻も子供も私のことを病人として見るのではないか?
元気にしていてよいのだろうか?
会社のみんなは休んでいる私のことを恨んでいるのではないか?
いっそのこと、先生に「もう治った」と言って早く会社に復帰したほうがよいのではないか?
あたまが割れそうに痛い。
こんな堂々巡りの考えが頭に浮かんでは、雪風のようにフッと消えてしまう。
頭が痛くなったら横になって眠ろうとするのだけど、眠れない。そんな、思考と睡眠に振り回されました。
それでも朝学校へ向かう息子を見ると元気が出てくるし、ごはんを食べている犬を見ると食欲も湧いてきます。
ちょっと心配そうな妻の表情を伺っては、元気に振る舞おうとしたり、何かやらなければ変になりそうでした。
本を読み更けるも、すぐに飽きてしまう。
実は最初の1か月は実家に帰った時も、親や兄弟から「リフレッシュしなよー」とアドバイスをもらっていたのですが、リフレッシュできなかったのです。
「タップリ遊んで好き勝手過ごすさ」と家族を安心させていましたが、口から出まかせです。
何もリフレッシュなどできませんでした。
それは「悪夢」のせいでした。
疲れをとるための睡眠なのに、毎度恐ろしい夢をみて、「苦痛に苦痛を重ねた絶望の最後」に目が覚めるため、起きたときには汗でビッショリ。
自分が苦痛の叫びをあげる声で目を覚ますほど…。
ひどい有様でした。
このブログには記載できないような、残酷でグロテスクな悪夢ばかり見るようになりました。
どうして自分の脳内でそんな残虐なシーンを映像化できるのか?と不思議に思う程、見たことも聞いたこともないような苦痛を味わいました。
何もかも失ったり、ずっと何かに追われたり、言われのない拷問を受けたり、まともな夢は一度も訪れてくれませんでした。
起きてから30分もすれば、やっと自分が死んでいなかったことを確認でき、飲んだ水が胃に流れ込んでいくのを感じるとようやく生きていると実感するのですが、眠くて眠くて、怖くて怖くて、呆けてしまうんです。
部屋の掃除をしようとしても手につかない。
私はどこか一人でゆっくりできる所でも探そうと思い、1泊キャンプに出掛けることにしました。
自然の中に身をおけば、自分の好き勝手に好きなものを食べて、眠くなったら眠ればいいんだと単純に考えて、とにかくゆっくり過ごそうと決めました。
その夜、私はひとりで焚火の炎を見ながら思いました。
どこで誰が火を焚こうと、誰かが燃える炎を眺めていようと、私には関係のないことです。でも、今目の前にある光のエネルギーは火を燃やさない限り発せられず、夜になれば皆、光と熱を求めて炎を焚くんです。だから、人間には火が必要であり、生きるためには熱を帯びる炎を灯さなければならないのでしょう。
自分の中にある、燃えるものを燃やせるだけ燃やす。そうすれば、私の中の熱のエネルギーが生活の支えになる。
と、まぁ「火」から多くの事を学んだような気がしたんです。
この本の主人公、長曽祢興里(ながそね おきさと)の真っすぐな心が私を励ましました。
この本を与えてくれた我が父にも感謝です。
休職してから、頭の中でグルグル、グルグル、グルグル、ぐるぐる、ぐるぐる…。
色々な考えが堂々巡りし続けて、悪夢の中をさまよい続けて、やっと1か月たったころに、自分のことを受け入れて「休んでいる間はしっかり休もう」と、心が穏やかになり慌てなくなりました。
平日に妻と出かけて、美味しいランチを食べることは、私にとっての最大の生きるチカラとなりました。
お金の心配もあり、生活の心配もあり、病気の心配もあり、たくさんの困ったが散らかっています。
それでも一瞬なんにも気にせず過ごすランチの時間が幸せな時間でした。
ゆっくりランチが食べられるなんて最高じゃないか!
よし、のんびりでいいんだ、ちょっとずつ何かやるか…。
死んでたまるもんかっ!
そんな感じの闘病スタートでした。笑。
長くなったので、次回につづく
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