派遣先担当者
内村さんがウチに来てくれてから開発が助かっていますよ。感謝しています。
派遣元営業マン
いえいえ、ウチの内村を長い間、使っていただきありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。
派遣者の内村さんのいない場面で交わされたやりとりに私は違和感を感じました。
「人を使う」という表現はNGです。
今日は「人を使う」がNGな理由を説明したいと思います。
最後まで読んで参考にしてみてください。
「使う」という表現について
人はモノではないので使うという表現に私は違和感を感じます。
遣わせる(つかわせる)という表現があるように、「人を使う」という言葉自体は意味が通ります。
では日常的に使用されている「人を使う」という場面を想像してみてください。
きっとこんなセリフが思い浮かぶはずです。
- 「あいつ優秀、使えるわ」
- 「新人がまるで使えない」
- 「暇なやつ、使おうよ」
なんか思い浮かぶセリフがどれも良い言葉ではないですね。「使えない」なんて言われていたらかなりムカっときます。
私のことを「使う」と表現して会話されていると思うと嫌な気持ちになります。
「白獅子が使えるらしいよ!」
「まじ白獅子は使えねぇすよ」
「白獅子、使えってさ」
うん。
とっても嫌な感じ!
人の事を「使う」と表現する人
人を「使う」と表現する人達は本人には直接言いません。相手に直接的に「使う」とは表現してこないのです。
つまり、「使う」という表現が失礼であることを認識しています。
冒頭の会話の中に派遣者の内村さんがいたとしたら、派遣元営業マンは絶対に「内村さんを使う」という表現はしません。
つまり、派遣元営業マンは内村さんがいない時だけ「使う」という言葉で表現します。
派遣元営業マンは派遣業務の活動をしているので、人の事をモノのように捉えている意識があります。残念なことに気が付かないうちに蔑んでいるのです。
自分がまとめ役なので、派遣者よりも自分の立場が上位にあると考えてしまうのです。
人と人の関係
人と人との関係は全てにおいて対等です。
この根本的な原則を見失ってはいけません。
仕事をする上で、上司、部下、社長、派遣先、派遣元などの「立場」はあるかもしれませんが、その立場によって人間の価値が変わるか?といえば、答えはノーです。
社長や、派遣元で「仕事上の雇う側」の立場であるからといって、人間的な価値に優劣がつくわけではありません。
私を中心に考えれば簡単なことです。
私より社長のほうが人間的価値が上か?
→答えはノー
私より派遣元のほうが人間的価値が上か?
→ 答えはノー
私より上司のほうが人間的価値が上か?
→答えはノー
私より親のほうが人間的価値が上か?
→答えはノー
答えは全部Noです。
私より契約社員のほうが人間的価値が下か?
→答えはノー
私より派遣者のほうが人間的価値が下か?
→答えはノー
私より部下のほうが人間的価値が下か?
→答えはノー
私より子供のほうが人間的価値が下か?
→答えはノー
こちらも答えは全部Noです。
人と人との関係は根本的に全て対等です。
対等ですから、上とか下とかでは表現できません。
優劣なんてありません。
共に生きて存在しているだけ
会社員を社畜というような表現をすることがありますが、まるで間違っています。
人材は企業にとって経営を動かす重要な役割りがあり、お金よりも重要な財産です。
人間は生きているだけで価値があり、企業にとって人材は財産です。
鼻高々になった中小企業の経営者が「俺が俺が」と武勇伝を語り、自分の会社の従業員を駒のように例えて話しをしていたら、その経営者からはそっと離れたほうがよいでしょう。
どんなに偉そうにしていても、過去にどんなに凄い偉業を成し遂げたとしても、経営者も従業員も「現在(今)」を共に生きて共存しているだけにすぎません。
過去の偉業に敬意を表したり、憧れを抱いたりすることはとても大切なことです。しかし、偉業を成し遂げた人が「私がやってやったんだ」という考えでは誰も敬意や憧れは持ちませんよね。
人材を配置するマネジメント
派遣業務などではマネジメントがとても重要な役割をします。派遣元営業マンの活躍により、派遣先が決まってくるからです。
どんな派遣先に行けるか、どんな派遣業務に従事できるかは 派遣元営業マンのマネジメント能力次第といってもいいでしょう。
もしあなたが派遣元営業マンなら「あの人使える」「あの人使えない」という表現をしてはいけません。人のことを「使う」と表現してしまう人は要注意です。
使える、使えない、という表現の中でも「使えねぇ」という表現がダントツで最低だと、私は考えています。
もしあなたが「使えねぇ」と言ったことがあるとしたら、そんなセリフは封印してください。
人のことを「使えねぇ」と表現する人は、「自分の能力のほうが上だゼ!」とアピールしたいだけで、自分のマネジメント能力が至らない点をその人のせいにしているだけです。
人材が活躍できる場所を見つけてきて配置することが、マネジメント能力の高さです。「使えねぇ」などと言って、活躍できる場所に配置できないのはマネジメント能力が低いからです。
人材を配置するマネジメントを担う人が、人材を「使う」と表現してしまうと、間違いなく信頼を落とします。さらには、自分の能力の低さもさらけ出すことになります。
使うのは人の持つ能力
派遣元営業マンが言ったセリフをもう一度振り返ってみましょう。
いえいえ、ウチの内村を長い間、使っていただきありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。
この言葉は「使う」という表現さえなければよい挨拶になります。
いえいえ、ウチの内村が長い間お世話になっており、ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。
こんな感じです。
お世話になっています。
ありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。
ほとんど同じセリフで、変わった部分はこれだけです。
使っていただき → お世話になっており
お世話になっているという表現は派遣元営業マンと内村さんが同じチームであることを表現しています。
良いマネジメントを行う人は「共に働く」ということを連想させます。仲間の持っている能力を最大限に引き出すことができます。「人を使う」のではなく「人材の持つ能力を使う」のです。
内村さんの持っている能力が最大限活かせそうな派遣先を選ぶことができた。それだけよいマネジメントであると言えます。
ストレスなく働くために
「使われている」なんて思いながら仕事をしていると、どうしてもストレスが溜まってきてしまいます。
ストレスなく働くためには仕事が楽しくなければいけません。効率がよく、仕事が楽ならあなたのストレスもぐっと減るでしょう。
自分の思うように仕事をして、自分自らが行動することで「使われている」という意識は消え失せていきます。仕事は主体的に行動すると楽しくなるのです。
一生懸命に取り組むとあなたが仕事の中心人物となり、仕事が楽しくなるので「使われている」なんて感覚にはなりません。
組織の立場が表している上下関係など、あなたの人間的な価値に比べれば小さな役割分担にしかすぎません。
人のことを「使う」と表現されるような渦中にいたとしても、堂々と自分の存在を主張し、自分の能力を最大限に活かしていきましょう。
チーム力の中に「人を使う」なんて表現はない
私がこれまでに見てきた優秀なチームでは、人のことを「使う」と表現する人は誰ひとりとして存在しません。
組織の結束力が強いチームはメンバーの一人一人が冴えています。
全員が覚醒した状態で仕事に取り組み、全員が一生懸命です。お互いがお互いのことを信頼しているチームです。
誰かに仕事をしてほしいときは、どんな立場であっても「お願い」をするという意識で依頼します。頼れる存在、信頼しあえる仲間に対して敬意を示しています。
誰かがミスをしても他のメンバーが必ずフォローに入り、リカバリーする。
使える、使えない、そんなこと言う人は一人もいません。
全員がそれぞれの仲間を「頼りになる存在」と感じていて、いつも感謝の気持ちを忘れないのです。
言葉ひとつでガツンと変わります。
「使う」のは人ではありません。
いつも頑張ってくれるメンバーに感謝!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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